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天長七年(890)、慈覚大師円仁により創設された星野 山無量寿寺が
始まりとされたる
喜多院。
慶長四年(1599)、二十七世を継いだ慈眼大師天海が徳川家康の厚い信頼を得、
寺領四万八千坪及び五百万石を下し、寺勢盛んとなりました。
寛永十五年(1638)の火災後の再建時には、江戸場内の「徳川家光誕生の間」が
書院、「春日局化粧の間」が客殿として移築されました。
現在、多くの文化財や正月3日の初大師・川越大師として親しまれ、
参詣の方々が訪れます。インターネット 
 
 
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                                           重要文化財 喜多院
 
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                               多宝塔
 
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元和2年(1616年)に薨去した祭神の法要は、久能山から日光山に改葬される際の元和3年(1617年)に、江戸幕府の「黒衣の宰相」と称された天台宗の僧侶・天海によって喜多院で行われ、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜され、同年にその地に天海によって創建された。1638年(寛永15年)の川越大火で焼失するが、徳川家光によって川越藩主で老中の堀田正盛が造営奉行に命ぜられ、幕府によって再建された。江戸時代を通じ社殿や神器等全て江戸幕府直営であった。
本殿には木像の家康公像が祀られている。石鳥居は寛永15年(1638年)に堀田正盛が奉納したもの。本殿のまわりには歴代の川越藩主が献燈した石灯籠が並ぶ。拝殿にある三十六歌仙絵額は岩佐又兵衛筆で知られ国宝。インターネット

 
仙波東照宮を大画面で見て下さい。
 
     仙波東照宮入口                摂社・厳島神社   
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   重要文化財拝殿                徳川の紋
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   重要文化財 本殿         国指定 重要文化財 八脚門切妻造りの随身門 
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 二年前にパソコンの仲間と喜多院に来ましたが、その時は仙波東照宮は時間が
無くて見られなかった様な気がしました。
本殿は奥にあって綺麗に撮れませんでしたが美しくて立派な東照宮でした。