玉川上水と羽村堰と玉川兄弟

■ 玉川上水
玉川上水は、江戸幕府が江戸市中の水不足解消のために、庄右衛門、清右衛門に命じて、承応2年(1653年)に羽村から新宿四谷大木戸まで開削しました。平成15年に全長43キロメートルのうち、開渠部分の約30キロメートルが国指定史跡に指定されました。
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■ 羽村堰
羽村堰は、玉川上水の出発点。多摩川の水を取り入れる堰はかつては「羽衣の堰」とも呼ばれていました。承応2年の建造以来、明治31年、大正12年と改修が重ねられ、現在も東京都の上水道取水口として重要な役割を担っています。羽村堰周辺と玉川上水沿いには、約500本のソメイヨシノが植えられ、シーズンには桜の名所として多くの観光客が訪れます。
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■ 玉川兄弟像
羽村堰の近くには、庄右衛門、清右衛門の玉川兄弟像があります。
玉川兄弟とは、玉川上水建設の功によって「玉川」の姓を許され、武士と同身分の扱いになった庄右衛門・清右衛門兄弟。昭和33年、この2人の功績をたたえる銅像が羽村堰に建てられました。
測量用の綱を手にして立っているのが、兄の庄右衛門です。
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我家の子供達が小さい頃羽村の堰に行って玉川兄弟の銅像を見てきたと話をしていましたが、私もその玉川兄弟の像を見に行ってきました。雨上がりだったので多摩川も流れが急で中洲に人がいますが怖くないのでしょうか?